月曜日

5月16日の授業

この日は全体授業でした。

他のクラスの人とも一緒になって、講義を受けました。

防府市の小学校の教諭の方が直々に来てくださり、お話しをしてくださいました。





講義は、いきなり「握手大作戦」をすることから始まりました。

いろんな人と自己紹介をしあって、じゃんけんをして、勝ったら負けたほうからサインがもらえるというゲームです。



私は連敗で、どうしてこんなに弱いんだと落ち込んでしまうくらい負けました。

少し悲しかったです。

しかし、そのゲームを楽しんでいる自分がいることに、途中で気がつきました。





それが一段落した後、先生の講義を聴きました。

講義中には「楽しむ」「気付き」「自立」というキーワードがよく聴かれました。



生活科は、児童の「具体的な活動を通して思考するという発達上の特徴」を参考に「直接体験を重視した活動を通して意欲的に学習や生活ができるようにする教科」として誕生した教科なのだそうです。



具体的な活動は生活科の授業に必須のようです。

その中で何かを学ぶのなら、活動中の「気付き」は重要になってきます。

また、活動は「楽しく」ないと、意欲的な学習や生活には繋げられません。

そうして学んでいく中で、子供達は「自立」していくのかな、と思いました。





生活科の授業は、あらゆる学びの基礎なのではないかと思いました。

高倉荒神社について

9日に訪れた平清水八幡宮から少し離れた所に、高倉荒神社という神社があります。
先生によると、この神社の高倉荒神様は、山口における農業の総元締めだそうです。

自分で調べてみたことをここにまとめます。



山口県の東南半にあたる周防国を本拠地としていた氏族、大内氏の始祖の琳聖太子という人が、朝鮮からの渡来の時、海上守護の霊神として、防府の高倉村に高倉神社を祀りました。
この後、平川の高倉山に移されます。
そして、明治の神社整理によって、現在の場所(恒富八幡宮の境内)に移されました。

神様の水とされる、この神社の境内の湧き水で、その年の豊凶を占う「御札(おためし)」という神事が特色なのだそうです。

また、毎年2月28日には「荒神様」という、豊作を願うお祭りがあります。

見たことがないのですが、お祭りが好きなので一度行ってみたいです。


このような神事を行っているので、高倉荒神様は、五穀豊穣の神様として、昔から農家の信仰を集めているのだそうです。

5月9日の授業

この日は山口大学の裏にある、平清水八幡宮という神社に行きました。
お弁当持参ということだったので、はりきっておにぎりを握って行きました。

実はこの日、デジカメを忘れ、携帯も電池が切れという最悪な状態でしたので、写真がありません。
悲しいです。


お弁当を忘れる子、作ってもらえない子がいる場合があるので、教師はお弁当を多めに持っていくのが常識である、と白水先生からの連絡が来ましたので、この日お米を3合炊いて、おにぎりを9つ作っていきました。
たらことのりたまと菜っ葉のカラフル3色おにぎりです。
衛生面に気をつけ、ラップでご飯を包んで握りました。手も、もちろんちゃんと洗いましたよ。

しかし、どうやら作りすぎてしまったようです。
友達にもあげたのですが、余ってしまって持って帰ることとなりました。

まぁ、このくらいの余裕が必要なのでしょう。


この日は曇り空で、雨がぽつぽつとまばらに降ってくるようなお天気でした。
あまりお出かけ日和とは言えません。

神社のツツジはとてもきれいに咲いていました。

鳥居をくぐってしばらく歩くと、階段があり、昇ると本殿がありました。



この平清水八幡宮は、県内最古の神社だそうです。
神殿の右側に湧き水があって、日照りでも豪雨でも水量が一定していて増減がないことから、この名前がつけられたと言われています。
この神社は室町初期に改築されていますが、本殿は重要文化財に指定されています。


重要文化財がこんな身近にあるものなんだな、と思いながら、神社の中を見てまわりました。

そういえば、瑠璃光寺も国宝ですし、このあたりには神社やお寺が数多くあると、大学に入学したての頃、聞いたような気がします。

さすが西の京。
ちょっと外に出るとおもしろいものが結構あるものだと思いました。



そういえば、この神社の隣に石川石材店がありました。
なんでここに石川石材店があるのか調べなさいということを言われたのですが…

よくわからなかったです。
どうやら神社の傍にあった鳥居型の看板は、このお店の仕事のようです。
もっと看板をよくみておくべきだったな、と思いました。



今回の授業では野外に出かけたのですが、集団を先導することはとても難しいことだと思いました。
私が先導していたわけではないのですが、してなくても大変さを感じました。

自分が歩く場所を決められたりすると、安全のためとはいえ少し窮屈な感じがしてしまいます。

学校では子供達を安全に移動させることに、かなり苦労するんだろうなぁと改めて思いました。

日曜日

5月2日の授業




この日は、少し早いのですが、みんなで端午の節句のお祝いをしました。

端午の節句について調べたことを、下にまとめておきます。



☆端午の節句の由来

元々は中国の厄払いの大切な日で、日本では、奈良時代頃から身の穢れを祓う行事として定着しました。


端午の節句は、昔から5月5日というわけではなかったようです。

「端」は「最初」、「午」は「午の日」を意味し、「月の最初の午の日」が端午の節句でした。

しかし、中国では厄払いの行事を5月に盛んに行っており、また、「午」と「五」のゴロが同じであり、5が重なることから、なんやかんやで5月5日が端午の節句になったようです。


昔の中国では、この日に蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲のお酒を飲んで身の穢れを祓っていました。

それが、日本の武家社会にも広まり、武士達は「菖蒲」を「尚武」(武事・軍事を重んずること)とかけて、5月5日の端午の節句を武士達にとって重要な日としました。


この後、武士達は、男子誕生という武家にとって非常に喜ばしいことがおきると、馬印(戦陣で、大将の馬側に立てて大将の所在を示す役割のもの)や幟を門前に立ててみんなに知らせ、お祝いしました。

それが庶民の間にも広まったのですが、庶民は幟を立てることが許されなかったので、鯉のぼりを揚げてお祝いしました。

これが鯉のぼりのルーツです。

庶民は鯉のぼりだけでなく、紙で兜を作ったり、人形を作ってお祝いしました。

これが五月人形のルーツです。


そしてこの頃から、端午の節句は男子の誕生と成長を祝う日となっていきました。

男の子の厄除けをして、男の子の健康を祈る日です。

鎧兜や五月人形や鯉のぼりは、魔除けと考えられるようになりました。


これが今日に続いているのです。

ちょっと長くなってしまいましたね。





この日はそんな端午の節句をお祝いしようと、「祝 端午の節供」という会を催しました.


まずは端午の節供の意味や由来をみんなで確認します。


そして、講義の最初の方ということもあって、みんなで自己紹介をしました。


私は自分が何を言ったのかあまり覚えていませんが(なにしろ緊張していたので…)白水先生が、普通に「こんにちは」から始めて自己紹介をしたのでは、子供達が自分のことを覚えてくれないのだと仰りました。

子供達に興味を持ってもらえるように、自己紹介をしなさいと。


なるほど、と思いました。

確かにクラスのみんなの自己紹介を聴いていましたが、既に知っている人や友人はともかく、全員の自己紹介を覚えるまでにはいきませんでした。


何かインパクトが大切だなぁと思いました。


でも、そういう一発芸や笑やインパクトから自分は縁遠い人間なので、なんかいい方法を考えなきゃなぁ、と思います。



自己紹介の話はこのくらいにして、

その後は、みんなで先生がたててくださったお茶を飲み、持参した柏餅を食べました。




食べていて初めて気付きましたが、柏餅の餅をくるんでいる葉は、どうやら2種類あるようです。

左の葉が友達の柏餅の葉で、右の葉が私が持ってきた柏餅の葉です。

(下の写真参照)





おもしろいので調べてみたところ、写真の左の葉がサンキライという木の葉で、右がカシワの葉でした。


どうしてサンキライの葉が使われているのかというと、

四国地方などの関西圏以南ではカシワが自生していないなどの理由で、カシワの葉が手に入りにくいのだそうです。

だからサンキライの葉を代用しているんですね。


でもそれだと柏餅ではなくなってしまうような…


しかし、この事実はおもしろいです。

なんかの教材にならないかしらと思いました。





そしてそして

端午の節供なので、兜と鯉を紙で作りました。







良い出来。
最後にはこれをかぶって鯉のぼりの歌も歌いました。


端午の節供は、「男の子のお祭り」ぐらいのイメージしかなかったのですが、今回調べてみて、深い意味があったことを知りました。
端午の節供は、今では男の子の誕生と成長、健康を祈る行事です。
男の子に限らず、誰かが生まれてきてくれたことを喜んだり、相手の健康を願ったりする姿勢は、とても大切で、尊いものだと思います。
このような行事をお祝いすることを通して、この姿勢を子供達に伝えられるといいな、と思いました。